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東京高等裁判所 昭和58年(う)747号 判決 1984年7月31日

主文

原判決中被告人の業務上過失致死に関する部分を破棄する。

被告人を右事実につき禁錮四月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、差し戻し前第一審の証人伊東義雄に支給した分及び当審の証人伊東節子に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事土本武司が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人吉澤功が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これを引用する。

論旨は、事実誤認の主張であって、要するに、関係証拠を正当に総合判断するならば、(イ)被害者は、本件国道一四号線上り線を左方から進行してくる二台の車両を認めたものの、その接近までに十分横断し得ると考えて上り線を横断歩行中、自分に向って高速度で異常に接近してくる被告人運転の自動二輪車を発見して驚愕狼狽し、これとの衝突を回避しようと右斜め前方に走り出そうとした際、不自然な体勢になったためバランスを崩して足を滑らせ、上体を後方に傾かせて右側頭部と右上腕部を同車両に衝突させ、そのため身体に回転力が加わり、引続き足を滑らせながら、もんどり打つような形で仰向けに路上に転倒して左後頭部を強打し、そのはずみで身体を寝がえりを打つように回転させて道路と並行の形でうつ伏せに倒れ、死亡するに至ったと認められるのであり、かつ、右の事故は、被告人が前方左右を注視する義務を怠って被害者を発見するのに遅れ、早期の適切な避譲措置を採り得なかったことに起因すると認められるのであるから、以上と同旨の本件本位的訴因につき被告人を有罪とすべきであったし、(ロ)かりに、被告人の車両が被害者に衝突したことが証拠上認められないとしても、被害者は、前記上り線を横断中、被告人車の異常な接近に驚愕狼狽し、これとの衝突を回避しようとして不自然な体勢を採ったため、足を滑らせてもんどり打って転倒し、路面に左後頭部を強打して死亡するに至ったと認められるのであり、かつ、被告人は、前方左右を注視する義務を果していたならば、横断中の被害者を早期に発見して、徐行をし、あるいは被害者が接触の危険を感じない程度に減速をし、その後方を安全な間隔を保持して進行するなどして結果の発生を回避することができたと認められるのであるから、少くとも以上と同旨の本件予備的訴因については被告人を有罪とすべきであったにもかかわらず、原判決は、(イ)の本位的訴因については、被告人の車両が被害者に衝突した事実はなかったと認めて被告人を有罪とせず、(ロ)の予備的訴因についても、被害者は被告人の車両の接近に気付きつつ、敢えて危険を犯して横断しようとして足を速め、右車両を背後約一メートルに避けて先に進んだ際、不運にもサンダル履の足を自ら滑らせて路上に転倒して致命傷を負ったと認めうる余地が十分にあり、被告人の運転行為によって被害者を狼狽転倒させたという因果関係の証明がないとして、被告人を無罪とした、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌し、次のとおり判断する。

一  本件の争点

本件の本位的訴因(原審第三回公判において本位的訴因に変更されたもの)は、「被告人は、昭和五四年一二月二日午前一一時五分ころ、業務として自動二輪車を運転し、千葉市幕張西二丁目一番三号先の国道一四号線を幕張町二丁目方面から習志野方面に向かい時速四〇ないし五〇キロメートルで進行するにあたり、前方左右を注視し、横断者の有無を確認し、横断者を認めた場合にはその動静を注視し、状況により直ちに停止措置を講ずるか減速徐行して同人に危険を感じさせ狼狽のあまり不測の行動をとることのないよう、同人と十分な間隔をとり安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、身体を前向きに倒し前方注視不十分のまま漫然前記速度で進行したため、折から前方車道を右方より左方へ向け横断歩行中の日野岡重夫(当時六〇年)に気付かず、同人と約七メートルに接近し、はじめてこれを発見したが、同人が安全に横断し終えるものと軽信して僅かにハンドルを右に切ったのみで同人の右側直近を漫然同速度で進行した過失により、同人に危険を感じさせ、狼狽転倒させ、その際同人に自車を衝突させ、よって同人をして即時同所において後頭部挫創等に基づく頭部挫傷・脳損傷により死亡するに至らしめたものである。」というのであり、予備的訴因(原審第三回公判において追加されたもの)は、「被告人は、昭和五四年一二月二日午前一一時五分ころ、業務として自動二輪車を運転し、千葉市幕張西二丁目一番三号先の国道一四号線を同市幕張町二丁目方面から習志野市方面へ向かい時速四〇ないし五〇キロメートルで進行するにあたり、近くに先行する車両はなく、被告人運転の自動二輪車が先頭車として走行中であったので、自己の進路上を横断する歩行者の有無など進路の安全を確認するため、前方を注視して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右斜め前方からの強風を避けるため身体を前向きに倒し、目にほこりが入ったことに気をとられ、前方注視不十分のまま進行した過失により、おりから右方から左方に向け横断歩行中の日野岡重夫(当時六〇年)が自己の進路よりやや右寄りの前方約七メートル余の地点に来ているのに初めて気付き、同人との衝突を避けようとして、ようやくハンドルをやや右に切り、同人の後方約〇・八ないし一メートルの地点を回り込んで進行したため、同人をして接触の危険を感じさせて狼狽転倒させ、よって、同人に対し頭部挫傷、脳損傷の傷害を負わせ、そのころ、同所において、同人を右傷害により死亡するに至らしめたものである。」というのである。

本位的訴因と予備的訴因は、ともに、被告人が前方左右を注意することなく自動二輪車を運転進行し、被害者が進路前方を右から左に横断しようとしていることに気付くのが遅れ、やや右の前方の僅か七メートル余の地点を被害者が横断しているのに初めて気付き、その右側直近を回り込んで進行したものの、同人をして接触の危険を感じさせ狼狽のあまり転倒させたという基本的に同一の過失行為があったことを前提としたうえ、本位的訴因においては、被害者が狼狽のあまりバランスを崩して足を滑らせ上体を後方に傾かせた際被告人の車両と衝突し、その力が加わって路上に転倒し、致命傷である左後頭部強打による傷害を受けた旨主張されているのに対し、予備的訴因においては、被害者と被告人の車両との衝突はなかったが、被害者が狼狽のあまり足を滑らせ、路上に転倒して致命傷を負った旨主張されているのであって、両訴因の間には、被害者がバランスを崩してから路面に左後頭部を強打して死亡するに至るまでの因果の系列の中に被告人の車両との衝突という事情が介在していたとみるか否かの点に差異があるにとどまるということができる。そこで、以下においては、まず前提となる被告人の過失行為の有無について検討することとしたい。

二  被告人の過失行為の有無

関係証拠によると、本件事故の状況は、次のようなものであったと認められる。

1  最初に、本件現場付近の状況をみると、本件現場は、ほぼ東西に走る(正確には東西から約六〇度南北に傾いた方向であるが、以下便宜上これを東西とし、これを基準として方向を示す)国道一四号線の上り線上であり、上り線は、幅員約一・三メートルの草がはえている中央分離帯によって下り線と区分されており、幅員は約一三メートルで三車線に区分され、その南側に歩道が設けられており、ほかに中央分離帯側と歩道側にそれぞれ幅員約〇・六メートルと約一・六メートルの路側帯が設けられており、道路南側に面して西友駐車場がある。他方、下り線は、車線の幅員が約一二・三メートルで二車線に区分され、路側帯や歩道も設けられており、歩道の北側は崖で、崖の上は住宅街になっており、本件現場の北側やや西寄りに崖上の住宅街から国道に通じる石の階段が設けられている。また、現場の東方約一〇〇メートルの場所に信号機の設置された交差点があるが、現場の近くには歩道橋や横断歩道はなく、横断禁止の規制もない。現場の車両制限速度は四〇キロメートル毎時であり、路面はアスファルト舗装されてほぼ平坦で乾燥しており、現場の上り線は幾分南方に曲っているもののほぼ直線に近く、見通しは良好であった。ただ、本件が発生した午前一一時五分頃にはかなり強い北西風が吹いており、午前一一時三〇分には千葉市出洲港所在の千葉測候所で最大瞬間風速一六・三メートル毎秒の北西風が記録されている。

2  次に、被告人の行動についてみると、被告人は、自動二輪車(排気量四〇〇cc、全長二・〇八メートル、全高一・一二五メートル)を運転し、本件現場の東方約一〇〇メートルにある交差点で停止信号に従って停止した後、上り線の一番左側にあたる幅員約三・七メートルの第一車線を西進し、第二車線を時速約四〇キロメートルで進行していたライトバンを引き離し、二〇ないし二五メートル位これに先行する形で時速四〇キロメートルないし五〇キロメートルの速度を保って本件現場近くまで来た際、それまで強風で砂ぼこりが立つため前かがみの姿勢で目を下にしたまま運転しており前方左右に十分注意を払わなかったところからその存在に気付いていなかった左方への横断者が前方やや右方約七・二メートルの地点にいることを発見し、衝突を避けるためハンドルを右に切り、体を右に寝かせるようにして横断者の背後を回り込むようにして通過し、その直後後ろでにぶい音がするのを聞いて振り返り、横断者が路上に倒れているのを知った。本件被害者であるこの横断者との関係における被告人車の位置関係を当日行われた実況見分の際の被告人の説明によってみると、被告人が最初に被害者を発見した際には、被告人車は第一車線と第二車線の境界線の左側(被告人車の進行方向を基準とする。以下同じ)約一・〇メートルの位置、被害者は境界線の右側約〇・九メートルの位置にあり、被告人車がそれから四・一メートル直進した際には、被告人車の位置が境界線の左側約一・〇メートルと変りなかったのに対し、被害者の位置は境界線の左側約〇・五メートルに移動しており、そのときハンドルを右に切りその直後被害者の背後を通過したというのである。また、被告人車が被害者の背後を通過した際の被告人車の通過位置を被告人の供述によってみると、事故当日の実況見分の際には第一車線と第二車線の境目あたりであると指示説明し、差戻し前第一審公判においては第二車線に入ったあたりであると供述し、同第一審の検証の際には第二車線内に入った位置であると供述している。さらに、被告人車が被害者の背後を通過した際の相互の距離関係を被告人の供述によってみると、事故当日の実況見分の際には被害者のすぐ後ろを通過したと供述し、司法警察員に対しても被害者の直後を通過したと供述し、検察官に対しては被害者の後方三〇ないし六〇センチメートルのぎりぎりの地点を通過したと供述していたのに対し、差戻し前第一審の公判では約一メートル離れていたと供述し(但し、本人が指示する両者の間隔を裁判所において計測したところ、横断者の背中の中心と被告人の肩の先端において八四センチメートルであった)、同審の検証の際にも約一・〇七メートル離れていた位置を指示説明している。他方、前記ライトバンを運転していた伊東義雄の差戻し前第一審における証言によると、被告人車は第一車線の中を曲線を描くような形で進行していき、被害者とすれ違った時の双方の距離は九〇センチメートルか一メートル位で重なり合う感じであった(重なり合って見えた後右距離をおいてすれ違ったように見えたという意味に解される。)というのであり、右のライトバンの助手席に乗っていた鈴木照子の差戻し前第一審における供述によると、横断者が滑り始めた時にちょうど被告人車がその背後に来ており双方の距離は一メートルか一メートルちょっとであったというのである。これらの供述のほか、すれ違う約三・四メートル手前では第一車線と第二車線の境界線から約一メートル内側の第一車線内を走行していたという被告人の実況見分時の説明を総合すると、被告人車は弧を描くようにして被害者の背後を通り過ぎたが、その背後を通った時の位置はなお第一車線内であり、その時の双方の間隔は一メートル以内の至近距離であったと認めるのが相当である。

3  さらに、被害者が本件上り線を横断していた際の状況についてみると、この点については、前記ライトバンの助手席に乗っていた鈴木照子と同車を運転していた伊東義雄の差戻し前第一審における各証言及び被告人本人の供述がある。まず鈴木照子は、本件現場から一〇〇メートル位手前の交差点の信号が青に変り、ライトバンが発進した時、被害者が現場右方の中央分離帯の草むらから上り線の車道内に出てきたこと、被害者は最初は普通の歩行速度で歩いていたが、第一車線を被告人の自動二輪車が接近して来るのに気付いたためか、第二車線から急に急ぎ足になり、そのすぐ後に物凄い勢いで足を滑らせ、両足を上にあげて右を下にして頭から路上にどすんと落ちたこと、前述のとおり、被害者が滑り始めた時、その一メートルか一メートルちょっと後方を被告人車が弧を描くようにして通過したことなどの目撃状況を供述しており、伊東義雄も、被害者が上り車線を右から左に横断していたこと、当日風が非常に強く、初め同人は前かがみに前方を向いて普通に歩いていたが、途中から急に早足になり、それから足を滑らせ、多分右足と思われる足を六〇ないし七〇センチメートルも高くあげ右を下にして倒れ込んだこと、被害者が急に早足になったのは、被告人車が接近するのに気付いたためと判断されること、前記のとおり被告人車は曲線を描いて被害者の後方九〇センチメートルないし一メートルのところを曲り込んで通過したことなど、大すじにおいて鈴木の供述と照応する供述をしている。一方、被告人は、昭和五四年一二月一〇日付司法警察員に対する供述調書において、風が強く砂ぼこりが立って目に入るなどの理由から、ちょっと前かがみの姿勢で目を下にして第一車線を進行中、前方やや右側の七・二メートル位の地点を被害者が右から左に横断しているのを発見し、危いと思ってハンドルを右に切り、体も右に寝かせて被害者の直後を通り過ぎたところ、後ろでにぶい音がし、振り返ると被害者が倒れていたと供述し、同月二四日付司法警察員に対する供述調書においては、七・二メートル右前方に被害者を発見した際、同人はその地点から急ぎ足になったと追加するほかは、前とほぼ同旨の供述を繰り返し、昭和五五年五月一七日付検察官に対する供述調書においても、七・二メートル右前方に被害者を発見した時、同人も自分の車両に気付いたようで、自分の方を瞬間的にちらっという感じで見たと付加するほかは、ほぼ従前の供述を維持しており、差戻し前第一審においては、被害者は早足からり小走りに速度を速めて自分の車両の前を過ぎたと供述している。さらに、被告人及び各目撃者が供述する被告人車と被害者とのすれ違い地点(ほぼ被告人車が通過した地点)の南西方向約二・八メートルの地点から同方向に幅約五センチメートル、長さ約一・三メートルにわたって滑走痕と認められる痕跡が路面に印象されており、その先に幅約一〇センチメートル、長さ約二五センチメートルの不定形の血痕があり、被害者は血痕のある路面に右顔面をつけてうつ伏せの姿勢で頭を西方に向け第一車線の南端にこれとほぼ並行して倒れていた。

4  以上1ないし3の事実関係を基礎とし、被告人に過失行為と目すべきものがあったか否かを検討すると、被害者は、最初自動車が左方一〇〇メートル位の間にはいなかったところから、そのすきに上り線を横断しようとして中央分離帯の草むらから上り線の車線内に進出した後、第二車線と第一車線の境界線近くまで進んだ時、被告人運転の自動二輪車が第一車線を進行して来るのを数メートル左方向の近距離に認め、あわてて右斜め方向に走って衝突を回避しようとしたが、被告人車をかわした直後にサンダル履の足を滑らせて後方にもんどり打つようにして転倒し、結局、左後頭部を路面に強打して死亡するに至ったものと認めるのが相当である。そうすると、被害者が足を滑らせて転倒したのは、明らかに被告人車との衝突を避けようとしてあわてて急な行動を採ったためと認められるのであり、しかも、そのような急な行動を採るに至ったのは、被告人において大型の自動二輪車を運転して進行中、進路の安全確認を怠り被害者の発見が遅れた結果、同人に衝突の危険を感じさせる至近距離に自車を進出させたためと認められるのであって、その転倒は被告人の過失行為に起因するものというほかはない。

原判決は、被害者は国道一四号線を往来する車両の合い間をぬい危険を犯して横断していたのであるから、上り線の横断にかかる際左方から接近する車両の動静を十分注視していたものと認めるべきであり、したがって被害者が足を滑らせて路上に転倒したのも被告人の運転行為に起因するものではなく、自らの予定の行動から生じた不運な結果に過ぎないと認める余地が十分にある旨判示するが、このような認定は、被害者が当初からそれと知りつつ敢えて高速度で進行中の大型自動二輪車の直前をすれ違おうとしたという不合理な推認を前提とするものであって、とうてい賛成することができない。もとより前記認定からすれば、上り線への進出に際し被告人車の接近を予測しなかった被害者に不注意な行動があったというべきであるが、その故をもって、被告人の過失ないし因果関係の存在を否定することはできない。

以上の次第であって、被害者は、被告人の不注意な運転行為の結果、被告人車との接触の危険を感じ、狼狽のあまり採った行動によって転倒したと認めるのが相当であり、被告人がこうした被害者の行動を予見してあらかじめ安全な運転方法を採ることは十分に可能であったのであるから、被告人の運転行為と被害者の転倒との因果関係を認めず、結局被告人の過失行為を否定した原判決には事実誤認があることになる。

三  被害者と被告人の車両との接触の有無

そこで、進んで、被害者が身体のバランスを失ってから路上に左後頭部を激突させるに至るまでの間に被告人車と接触した事実が認められるか否かについて検討する。

1  この点を確定することができる直接の証拠、例えば被告人車の損傷、遺留物、確実な目撃供述などは存在しないので、被害者の身体に残された損傷などから間接的に推論する必要があるところ、その損傷には、(1)後頭部左側に斜めに走る長さ約六センチメートル、深さ頭蓋骨に達し、多量の出血を伴う挫創、(2)右側頭部耳介上部に小児手拳大の皮下血腫、(3)右上眼窩部に皮下血腫、(4)右上腕の肩峰より下方約一八センチメートルの部位に開放骨折、(5)(4)の骨折部に相当する右上腕外側前方部に血液の流出する小豆大の創口を有する挫創、(6)(5)の挫創の前方斜め下方約一・五センチメートルの部位に左右径二センチメートル、上下径一セチンメートルの不規則な紫赤色の圧迫痕の計六個があり、そのうち(1)の傷害が死因である脳損傷を伴う傷害であった。

2  差戻し前第一審で取調べた鑑定人木村康作成の鑑定書及び同審における同人の証言は、前記六個の損傷のうち、(5)は鈍器による打撲によって形成された表皮剥離であり、(6)は鈍器による擦過によって形成された表皮剥離であると認められること、(5)及び(6)はそれらの表面積や形状からみて鈍器によって形成されたものとみるのが合理的であるが、路面にはこうした鈍器はなかったので、路面外の鈍器によるものと認められること、(5)及び(6)はそれらの位置からみて(4)の骨折が生じた後の再度の外力が作用して形成されたものではないと認められること、(4)の骨折は開放性骨折であり、骨折部に相当して損傷が形成されており、しかも、転倒によっては路面と直接接触し得ない部分のものである点からみて、外力の直接作用により形成されたものと認められること、以上の諸点からみて、(4)・(5)・(6)の損傷は外部の鈍器により同時に形成されたものと推定されること、これらの損傷を生じさせた鈍器としては被告人の自動二輪車の左側後部スプリング部分にある上部止め金を想定するのが一番可能性が高いこと、結局、被害者が滑って体位が後ろに傾いた際、その背後を通過した被告人の自動二輪車の右の止め金付近に被害者の上腕部が衝突して(4)・(5)・(6)の損傷が生じ、同時に同車の後部座席に被害者の右側頭部が衝突して(2)の損傷が生じたと推定されることを説いている。

また、当審で取調べた鑑定人上山滋太郎作成の鑑定書も、基本的に木村鑑定の推定を支持しており、前記(4)の骨折が程度の著しい開放性骨折であるのに、手掌や肘に外力作用を思わせる痕跡がなく、骨折部にほぼ相当する部位にのみ(5)及び(6)の損傷があることなどからみて、(4)の骨折は介達外力ではなく、直達外力によって形成されたものと認められること、(5)及び(6)の損傷が有形的性状を備えていることなどからみて、これらが有形的性状を持つ突出物の衝突によって形成されたものと認められること、路面に硬い突出物が存在した場合は別として平坦な路面に転倒しただけで即死する例は稀であること、(2)の左後頭部の損傷と(4)の右上腕部の損傷が一回の路面への転倒で形成されたと考えるのは困難であること、結局、被害者は路上で滑った後被告人の自動二輪車の左後部付近に右上腕部を衝突させ、その後に路面で左後頭部を打ったと推定するのが最も合理的であることを説いている。

3  これに対し、当審において取調べた鑑定人井上剛作成の鑑定書は、被害者の右上腕に生じた前記(4)の骨折について、これは上腕の下三分の一と思われる個所の上腕骨骨折と上腕骨のほぼ中央位の骨折との二つから成る複雑骨折であって、この二つの骨折によって遊離された骨片が上腕の前内側位において内部からやや隆起した格好となって持ち上っていると認められること、(5)の損傷は右のように遊離した骨折端が内部から皮膚を突き破ったため生じた創であり、(6)の損傷は内側位にあった骨折端が転倒による路面との接触などにより内部から皮膚を盛り上げたため生じた圧迫痕であると認められること、そうすると右上腕骨骨折の場所の外表に鈍体などの物体が作用した痕跡が存在しないことになり、骨折の態様からみても、この骨折は間接的外力によって惹起された介達性骨折であると推定されること、そして、右の骨折は、恐らくは、被害者が勢いよく滑り路面に転倒した際右上肢を後側にして倒れ自分の身体がその上にかぶさるようになったため形成されたものと思われること、結局被害者の損傷はすべて被害者が滑り路上に転倒したために生じたものと認められることを鑑定している。

4  検察官は、井上鑑定が死体検案書に記載のない右上腕部の複雑骨折を前提としている点などで信頼性に乏しいのに反し、木村鑑定及び上山鑑定は本件の諸事情を多面的、総合的に検討して矛盾なく事態を説明している点などで正確性が高いと主張する。なるほど、所論のとおり、木村鑑定及び上山鑑定の推論は、本件の諸状況を無理なく説明するものとして、相当の合理性と説得力を備えているものということができ、前記認定の本件事故の状況と合わせ考えると、被告人車が被害者に接触した蓋然性は相当大きいと認められる。しかし、それらの鑑定も、結局は、損傷部位の写真を基礎とし、損傷について最も可能性の高い因果の関係を抽出した推論にとどまるのであって、井上鑑定が結論として採る間接的外力による右上腕骨骨折の可能性、ひいては被告人車が被害者に接触していない可能性を完全に否定し去るまでのものではない。しかも、本件事故を目撃した伊東義雄、鈴木照子は、差戻し前第一審の証人として、いずれも被告人車と被害者とは衝突していないと思うと供述しており、その供述は、二〇メートル余り東方のライトバンから目撃した体験に基づくものであるが、その位置関係から、被害者が被告人車の蔭に入った後その左方へ現われる一瞬の部分での接触の有無を確実に目撃判別し得たかどうかに疑問があり、印象的な供述にとどまるものではあるが、衝突がなかったのではないかとの疑いを何程かは生じさせるものであって、完全に無視することはできない。加えて、被告人車には、事故当時少なくとも外見上は衝突をうかがわせるような損傷が発見されなかったこと、被害者の滑走痕の開始地点が前記のとおり目撃者らの供述するすれ違い地点から南西に約二・八メートル離れていること、被害者の死体解剖がなされなかったため、右上腕骨骨折の内部の状況を疑義のない程度にまで判定することができないこと、被害者の損傷の機転について専門家の間に所見が分れ、少なくとも一名の鑑定人が衝突がなかったとみても医学上不合理なところはない旨説いていることなどの事情が存在している。こうした点を総合するときは、刑事裁判の認定としては、被告人車と被害者との間に衝突があったとの証明は十分でないとする立場を採るのが正当であり、原判決のこの点の判断は結論においては維持することができる。

5  そうすると、被害者は、身体のバランスを崩し、足を滑らせてもんどり打つようにして路面に左後頭部を激突させ、死亡するに至ったと認めるのが相当である。

四  結論

以上の次第であって、本件証拠上は、予備的訴因の限度で被告人の業務上過失致死罪の成立を肯認するのが相当であり、これをも否定した原判決には事実誤認があるといわざるを得ない。論旨はその限度で理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、直ちに判決することのできる状況にあると認めて同法四〇〇条但書により下記のとおり自判することとする。

五  自判

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五四年一二月二日午前一一時五分ころ、業務として排気量四〇〇ccの自動二輪車を運転し、千葉市幕張西二丁目一番三号先の国道一四号線を同市幕張町二丁目方面から習志野市方面に向けて時速四〇ないし五〇キロメートルで進行するにあたり、自己の進路上を横断する歩行者の有無など進路の安全を確認して進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、右斜め前方からの強風を避けるため身体を前向きに倒して下向きになり前方注視を十分に行わないまま進行した過失により、折から自車の進行方向の右から左に向けて横断歩行中の日野岡重夫(当時六〇年)が自車の進路よりやや右寄りの前方約七・二メートルの地点に来ているのに初めて気付き、同人との衝突を避けるためハンドルをやや右に切り同人の背後至近距離のところを回り込んで進行するという運転を行ったため、被告人が日野岡に気付いたとほぼ同じころ被告人の車の異常な接近に気付いた日野岡をして接触の危険を感じさせて狼狽させるとともに右斜め方向に走り出させ、そのため被告人の車との接触は回避されたものの、同車とすれ違った直後に路面に足を滑走させてもんどり打つように後方に転倒させ、路面に左後頭部を激突させて頭部挫傷、脳損傷の傷害を負わせ、間もなく同所において右傷害により同人を死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮四月に処したうえ、刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間その刑の執行を猶予することとし、訴訟費用の負担につき刑訴法一八一条一項本文を適用する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野慶二 裁判官 香城敏麿 安藤正博)

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